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送る [日々]

_DSC0011.JPG  また久しぶりの更新になってしまいました。もう1月も終わりですね。

 あまり正月らしい気分を味わえなかった今年の初めでしたが、ようやく落ち着いた日々が戻ってくるようになると、無性に鳥を撮りに行きたくなったり、レコードが聞きたくなったりしました。

 飢えこそ究極の欲求ですね。その時、撮った写真や聞いたレコードのことでも報告しようと思っていたら、昨年末から体調を崩していた義母が今月半ばに亡くなりました。

 暮れには医者に危ないと言われていて、宮守りと重なるとまずいなぁと思っていたのですが、義母は何とか持ちこたえてくれました。

 12月の半ば頃から私たちの呼びかけにもほとんど反応がなかったのに、年が変わると目が開きだして、3日には目をはっきり開けて、話が出来るまでになったのです。

 これには私たちも驚いて、一瞬奇跡が起こったのかと思いました。いつも人ごとには冷静な妻も、さすがに自分の親のことになると欲目が出るのか、、この分なら100歳まで生きられるのではなどと私に言うのでした。

 それからしばらく、義母は起きたいとかお茶が飲みたいとかわがままを言うまでになっていたのですが、1月半ば、一日中牡丹雪が舞う寒い日、皆に見守られて息を引き取りました。

 享年93歳、義父を亡くしてからも元気に暮らしていたのですが、次第に足腰が悪くなり数年前からベッドと車椅子の生活でした。

 いつも何かしら冗談を言わないと気が済まない面白いおばあさんでした。なかなか役者で私たちがしばらく顔を出さないと、元気のない振りをしたりボケた振りをするのです。

 でも、しばらく喋っているうちに何でもしっかり知っていることや、元気な仕草が出たりして芝居がばれます。また耳の遠さも、大事な事はしっかり聞こえていて、その使い分けの巧さに妻と二人でよく笑ったものでした。

 12月、義母が体調を崩して反応が無くなる少し前に言ったことが印象的でした。妻が義母を励ますために、「おばあさんは足以外は何処も悪いところがないのやから元気出しな」と言うと、義母は「老人病や」と答えたのでした。そのときは、そんな言葉をすぐ返せる義母を凄いなと思ったのでしたが、この頃すでに意欲が減退していたのでしょうか。

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 妻の実家は私たちのところよりまだ少し奥になるのでもっと田舎です。お葬式、宗派は我が家と同じだったのですが、お寺や地域が違うと、やり方も少しずつ違って戸惑うことがしばしばでした。

 20年近く前の義父の時は、葬儀は自宅、何もかも手作りの葬儀で大変でしたが、今は葬儀場を借りて葬儀屋さんが何でもしてくれるので、遺族としてはずいぶん楽でした。

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 ここは、妻の実家の「さんまい」です。さんまいとはどういう字を当てるのか、山に埋葬するから「山埋」でしょうか。義父の時は、ここへ土葬したのですが義母は火葬、骨はお寺の墓に入るのでここにはおりません。

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 それでも初七日から四十九日までの中陰中、七日ごとに遺族はここへお参りして線香を上げます。かつては、葬儀の列(ソウレンと言いました)が家からここまで歩いて、この場で葬送の儀式が行われました。

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 棺桶を置く石の台です。私たちの山埋にも似た石がありますがもう少し大きかった気がします。棺を担いだ列はこの石の周りを3回ほど回り、石の上に棺を置いてから、僧侶の引導を渡す儀式が行われます。

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 山埋の入り口に六体地蔵があるのも、規模は少し違いますが私たちの山埋と同じです。そばを道路が通っていて山埋の入り口は明るく道路から丸見えです。

 私たちの山埋の入り口も昔は木々に覆われて鬱蒼としていましたが、今は切り開かれて明るくなっています。ここもかつてはもっと薄暗かったのではないかと思います。

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 これで私たち夫婦には親と言う存在がいなくなりました。これからは私たちが子供たちから介護されたり、看取られたりする番のようです。


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