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六十肩? [日々]

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 暑さ寒さも彼岸までの彼岸を迎えても、去年は残暑がなかなか去らなかったのに、今年は彼岸が来る前にもう秋が届いているような気配です。家の裏に咲く彼岸花も今年はいつもより少し開花が早かったような気がします。

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 今年の彼岸花、なんだか赤さが足りないなぁと思っていたら、妻も白いと表現しました。珍しく夫婦で意見が一致しました。多分、ここのところ雨が降っていないせいではないかと思っていたのですが、よその休耕地で咲く彼岸花は赤いのです。

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 除草剤のせいかもしれません。毎年のこと今年だけ白かったり赤色が薄いというのも変ですが。


 さて、今日は体調の話です。私は幸いなことに、今まであまりあちらが痛いこちらが痛いといったことがなく過ごしてきました。それで知り合いや先輩の方々が肩や膝の関節などが痛いというのを聞くと、よく笑ってからかったりしていたものです。

  ところが去年の秋だったでしょうか、左を下にして肘を着き寝転がってテレビを見ていたら、同じ姿勢を長い間続けたからでしょうか、左肩が詰まったような違和感を覚えました。

 それからです。その違和感はいつか痛みに変わっていきました。腕を上げると引っかかるような感じがあったり、ある角度で痛みが走ったりするのです。

 世間の人達が言う、これが四十肩、五十肩というやつかと思いました。私の場合、60歳を過ぎているので六十肩と呼ぶのだろうかと思いました。

 今まで、慢性的な関節の痛みを味わったことがないので、これにはちょっと苦労しましたし、不便を感じました。まず左肩を下にして寝ることができません。寝返りの途中、痛みで目が覚めたり、ある角度に腕を伸ばすと鋭い痛みに襲われます。今まで何も意識することなくできていた服の着替えも痛みを避けるように注意を払ってする始末です。

 普段は痛くも痒くもないのでつい無意識に左腕を使ってしまい、突然鋭い痛みに見舞われます。私は右利きなのですが、思った以上に左腕を使っていることを認識させられました。

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 あるとき、中学の同窓生の集まりで、久しぶりに会ったmasa君が私の隣で別の同級生に左肩の痛みを訴えているのを聞いて思わず聞き耳を立ててしまいました。

 彼は中学時代、スポーツマンで鳴らした男です。その彼が私と同じ左肩の痛みを訴えていると聞いておかしくなりました。お互い歳には勝てないなぁと思ったのです。

 もっとも彼の場合、私のようにテレビを見るのに左肩を下にして寝転がっていたからではなく、やはりスポーツマンらしくスキーで転んでからだそうです。

 私は病院には行きませんでしたが、彼は病院に通っていました。通院すると保険が降りるとか、腕を水平に伸ばして上に少し上げた時、痛んだら六十肩だと教えてくれました。また、右利きのものは左肩がなりやすいと言ってました。まさしく私も左肩、しかもその角度で痛いのです。

  いつも痛いわけではないのですが、使うときに痛みが走るので困りました。特に寒い時は差し込むような鋭い痛みに襲われることが多かったですね。冬の間は、寒くなるにつれ症状が悪化していっているようで不安でした。

 経験者に聞くと、1.2年でいつの間にか治っていたということでしたし、医者に行ってもすぐには改善しないとも聞きます。普段は左を使わないようにと用心しているのですが、右手がふさがっていたり両手を使って作業をしたり、重いものを持ちあげなければいけない時などに困ります。

 次第に痛みが深刻化していくように思えた頃、お風呂に入っていると症状がいくぶん和らぐように思えました。それで毎日シップで温めることにしました。それから少し症状が軽減した気がしました。

 シップ治療のまま、季節はいつしか春に向かって行きました。するとシップのせいか、暖かい気温のせいか症状が次第に軽くなって行くように感じられました。違和感は少しあるものの、鋭い痛みに飛び上がるというようなことはなくなっていきました。

 季節がすっかり暖かい頃になると、普段はほとんど忘れていて、せいぜい腕を不用意に上げたり、動かしたりした時六十肩だったことを思い出す程度でした。

 ただ、ゴールデンウィーク過ぎ、営農の田植えで一日苗運びをした時、苗箱を両手で持つのですが、翌日左肩だけに強い疲労感が残りました。それでまだ完治していないのだなぁと思いました。

 暑く開放的な夏が来ると、汗はかきますが関節や筋肉の動きはスムーズで柔軟になります。左肩の痛みも違和感もほとんど気にならなくなりました。たまに冷房が効きすぎた部屋とか、肩を動かしたちょっとした瞬間に思い出す程度です。

 ただ、今年は秋の訪れが思いのほか早くて、朝晩にはもう寒さを感じる日もあります。今のところ大丈夫ですが、本格的に寒くなって来ると再発しないかちょっと心配です。

 先日会ったmasa君ももう肩の痛みは訴えていませんでしたが、今度は腰が痛いと腰を少し曲げて歩くのでまた笑ってしまいました。スポーツマンでいつも颯爽としていた彼だけにそのギャップが面白いのですが、同時に中学の時以上に親近感を感じるのです。 

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 お茶の花も彼岸花に時期を合わせるように咲き出しました。

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 先日、畑仕事をしていたら百舌鳥のけたたましい鳴き声を初めて聞きました。今年は秋が追っかけてくるように早い気がします。


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手塚治虫展 [その他]

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 空を見るともう秋ですね。今年の夏は、いつもの粘り強い残暑もなくて腰砕けのまま終わってしまいました。そして、気が付いたらもう9月も半ばです。今月初めての更新になります。


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 子どもたちの夏休みに合わせるように、「手塚治虫展」が7月12日から8月31日まで、滋賀県立近代美術館で開かれていました。開催を知ったのは7月でしたから、まだまだと思っているうち、いつの間にか残す期間が一週間を割ってしまって、夏休みの宿題を片付ける子供のように慌てて行ってきました。

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 県立近代美術館に行くのはすごく久しぶりです。美術館は文化ゾーンと言われる静かな森の中にあり、近くには県立高校や県立図書館、県立医大などがあります。館内に入るとアトムが角々で道案内してくれました。

 手塚治虫といえば、私の世代はやはり「鉄腕アトム」でしょうか。昭和20年代から40年代にかけて「少年」と言う漫画月刊誌に連載されていました。

 昭和2.30年代、「少年」は当時数種類あった月刊漫画誌の中で、一番人気があったかもしれません。「少年」を手にして、私が一番最初に見たのは「月光仮面」だったと思います。それから「赤胴鈴之助」「鉄人28号」「矢車剣之介」など人気漫画が目白押しの雑誌でした。私の中でアトムは4.5番目の順位だったような気がします。

 因みにその頃私の愛読誌は「少年画報」でした。読みたい漫画の数では圧倒的に「少年」だったのですが、私はただ「まぼろし探偵」のためだけにこの雑誌を買ってもらってました。もちろん2誌も買ってもらえないので、「少年」を持っている子と見せ合いっこしてました。 

 脱線してしまいましたが脱線ついでに、古い話をもう一つ。テレビで最初に「鉄腕アトム」を見たのは、アニメではなく実写版「鉄腕アトム」でした。家庭にテレビがようやく入りだした昭和30年代頃のことです。外で遊んでいても、「鉄腕アトム」が始まる頃になると飛んで帰ってテレビの前に鎮座したものです。

 それから数年後、1963(昭和38)年に国産初の30分テレビアニメとして「鉄腕アトム」がテレビ放映されました。展覧会の中でもオープニングテーマがエンドレスで流されていて、懐かしかったですね。

 今、小中学校の運動会の季節ですが、私達が中学生の頃、「鉄腕アトム」のテーマ曲がマーチに編曲されて運動会で演奏されていたのを思い出します。 

 ついついアトムの話に力が入ってしまいましたが手塚作品には他にも名作が目白押しです。テレビアニメはテレビオリジナルの「ワンダースリー」、1965(昭和40)年、国産初の30分カラーテレビアニメ「ジャングル大帝」が印象的です。

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 さらに、「悟空の大冒険」「リボンの騎士」「どろろ」と続きますが、この辺になると1960年代も後半、私はすでに高校生になっていたせいか、記憶がやや曖昧です。アニメを見ていても「巨人の星」などスポ根ものを見ていた気がします。

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 1969年、大人向けのアニメ映画として制作された「千夜一夜物語」は、見ていないのですが、高校の体育祭の立て看板にこの絵を描いていたクラスがあって記憶しています。おませというか、背伸びしたかったのでしょうね。

 手塚治虫の漫画作品はその後、子供向けのSFや冒険ものから、哲学的なものへと傾斜して行ったように思います。「ブッダ」「海のトリトン」「アドルフに告ぐ」「火の鳥」「ブラック・ジャック」そして性を扱った「ふしぎなメルモ」は異色です。

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 私は漫画好きだったので手塚作品、主だったものはだいたい読んでいると思うのですが、なにせ多作な作家、全ては読みきれていません。70年代は、音楽や映画と同様、漫画の世界も百花繚乱、充実した時期でした。その中で、手塚作品は深い迷路にハマり込んでいるような印象を受けた記憶があります。

 手塚治虫はあの冒険SF漫画「鉄腕アトム」でさえ、アトムが学校に通うようになって、計算能力も運動能力も飛び抜けているためにかえって孤独感を味わうシーンよりも、世間はアトムの超能力ばかりをもてはやしていると落胆していたそうです。

 その他、「火の鳥」や「アドルフに告ぐ」などだけではなく、アニメ化されたために娯楽作品に思える「ジャングル大帝」や「ブラックジャック」にしても、彼自身はその中に人生の意味を込めています。

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 手塚治虫は1928生まれ。私の両親とほぼ同世代です。当然、戦争をくぐり抜けた世代です。そして当たり前のことですが、彼の作品には戦争が色濃く反映しているように思えます。

 彼は医学博士の資格を持ちながら、不安定な漫画の世界に飛び込んで行きます。その頃漫画といえば、まだ四コマ漫画とか貸本の漫画しかなかった時代です。

 「赤本」と言う世界で、彼は次々とストーリー漫画を発表して頭角を表していきました。17歳ですでにヒット作を連発していたそうです。彼は漫画の世界の開拓者、先駆者でした。

 そしてアトムやジャングル大帝など上質な漫画作品を書き続けるとともに、次はアニメの世界を切り開いていきます。不可能と言われたテレビアニメ番組を独特の工夫で実現にこぎつけます。

 一つの同じ背景に手前の人物だけを動かして動きを表現したり、主人公たちの動作のセルを残しておいて使いまわしたりしてエネルギーと経費の節約に努め、国産初の30分テレビアニメ放映にこぎつけました。お陰で1960年代後半から70年代、午後6時、7時のテレビ番組、どのチャンネルを回してもアニメばかりだった気がします。

 一つの分野がある一人の巨人、天才の出現によって、大きく発展することがあります。漫画、アニメ界において、手塚治虫はまさしくそういう存在だったのではないかと思います。

 手塚治虫は1989年2月、胃がんのため60歳という若さで他界しました。この展覧会では彼の生涯に描かれた15万枚のマンガ原稿とアニメーション70点の中から170点の原画、資料、映像を厳選して展示されていました。

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 会場の最後で写真を撮ることが許されたブース

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 彼の創作の秘密が覗けるのではないかと、思わず机上に寄ってしまいました。

 夏休みも最後、展覧会場はさぞ子どもたちでいっぱいと思っていたら、平日のせいか会場は思いの外静かで子供の姿はほとんどありません。途切れない程度の客の流れ、そのほとんどは私と同じか少し若いくらいの同世代でした。

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